February 27, 2003

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A New Set of Social Rules for a Newly Wireless Society

Publications

This is a Japanese version of my article for the Japan Media Review.

最近刊行されたRheingold の Smart Mobsには,“ケータイ”が,今後の社会の“革命児”になるであろうと記されている.その本の冒頭部は,渋谷のスクランブル交差点で若者がケータイ片手にふらふらうろついている様子の描写から始まる.——渋谷は,世界に類を見ないのケータイ密集地帯であると.

確かに,東京という都市は,Rheingoldの表現通りの空間かもしれない.

私が東京で過ごした80年代は,テレカ,公衆電話,街中のお店や建物が,待ち合わせをしたりするための,そして遊びをコーディネイトしてくれるテクノロジーだった.まずは待ち合わせの時間や場所を決めなければならないのだが,それはたいてい,渋谷ハチ公前広場とか六本木アマンドとか,誰でも知っている場所であった.どしゃぶりの日の待ち合わせもあれば,猛暑の中汗まみれになりながら,もしくは寒い日に震えながら友達を待ったこともあった.そして,公衆電話から遅刻している人の自宅にかけたり,自分の家の留守電に何か友達からのメッセージが入っていないか公衆電話からチェックしたりもした.

そして,現在.私はケータイを鞄に入れて自宅を出る.
何時頃,どこで晩御飯を食べようかノ“後で電話するね”と夫に言い残してでかけていく.街から駅までの景観に,公衆電話の姿が消えていく.いまさらテレカも持たない.電車に乗れば,待ち合わせをしている同僚に,“ちょっと遅れちゃいそう”とケータイメールを打つ.少し待つと,今度は私のケータイがバイブして,彼女がさらに遅れそうだということ,そして約束していた待ち合わせ場所についたら電話するからというメッセージがとんでくる.私は待ち合わせ場所につくと彼女にメールを打ち,彼女からの(到着を告げる)電話がなるまで駅ビルで買い物とかちょっとした用件をして時間をつぶす.駅構内のある地点で出会うまで,私たちはオンラインでやりとりすることになる.そして彼女を見つけた私は,彼女の視界に私が映るよう手を振り,そうしてケータイの通話をやめる.

遅刻をわびる言葉もいらないし,“無駄に”時間を過ごした感覚もない.ただしこれが,どちらか一方がケータイを家に置いてきたとするとだいぶ様相が変わってくる.待っている方はフラストレーションがたまる一方で,待ち合わせ自体うまくいかないだろう.私がインタビューした大学生は,ケータイを家に忘れていくことや,ケータイの充電切れこそが“タブー”だと言うくらいである.10代,20代といった若者世代の人たちは,待ち合わせの時間や場所を決めるのになんら悩むことなどないように見える.彼らは1日にだいたい5-15回位ケータイメールをやりとりして,時間や場所を特定していき,結果的に,ある意味樹海のような都市空間上で,“2つの点”は見事に収束していく.ケータイを持たないことは目隠しして街を歩くに等しく,時間と場所の社会的ネットワークの中で,あなたがどこに,いついるのかといった情報から隔離されることになる.

ケータイは,特に若者の間では“社会的必需品”となってきている.モバイルコミュニケーション研究会の調査によると、2001年の11月時点で,日本人の64.6%がケータイを所有している.20代となると,この値は89.6%となる.大学生限定だと97.8%,高校生では78.8%である.ケータイインターネットについては,NTTDocomoが1999年にI-modeを立ち上げてから,日本のケータイ利用シーンはだいぶ変わってきた.これらサービスのヘビーユーザは若者であり,彼らは,ケータイどうしでテキストメッセージや画像や写真をメールで送りあう.実際,ケータイを持っている女子大学生,女子中高生では,ケータイメール使用は100%である.男子では,中高生で88%,大学生でだいたい96%である.20歳以上の大人といったカテゴリで見ると,ケータイ使用率はこの値より低く,70%から80%あたりである.また,ケータイメール使用率となると,10代(1週間にだいたい平均70通)の利用数は20代の2倍であり,決定的な差がある.ケータイインターネット使用率をみると,40代で24.7%であるのに対して,10代では69.9%,20代では59%という値をとる.

待ち合わせのやりとりのダイナミックな変化は,ケータイを使ったいろいろなコーディネイト,コミュニケーション,情報シェアのやりとりの変革を示す氷山の一角にすぎない.
中高年層は,ケータイをマナーの悪さとリンクさせ,——特に公共交通機関や食事中のケータイ使用といったことをあげて——ケータイを悪玉としてあげるかもしれない.親は,もはや自分の子どもの交友関係を把握できないことを憂慮する.それもそのはず,今や家の電話はやりとりにとって重要な“サイト”となっていないからである.ケータイに関する“苦情”がありながらも、今は若者の親の世代もケータイを利用し始めているので、若者に限らず中高年も,ケータイ利用方法を決定したり,規制したりする社会的な交渉の場に参与している.

私は,慶應SFCの研究所 ドコモハウスで研究活動に従事し,ケータイの新しい使用法やサービスについて調査している.小檜山賢二教授,訪問研究員の岡部大介氏,そしてSFCの学生たちと一緒に,ケータイ利用のエスのグラフィックな研究を展開してきた.その中でまず得られた知見は,10代と20代あたりのユーザにとっては,テレコミュニケーションのモードとして,いまやケータイメールがケータイ通話にとって変わっているということである.

高校生や大学生は,一般的にきわめて親しい友達でもない限り,友達の家の電話番号は知らないようである.ケータイに電話をかける前には,——勿論例外もあるが——電話をしてもいい時間を決めるために,ケータイメールでやりとりする.この新しい社会規範は,“入室前のノック”のようである.“今平気?”,“起きてる?”といったようなメールのやりとりを通して,お互いに,寝ている相手を起こしたり,突然の電話で相手の生活を邪魔しないようにしている.

私たちの調査に参加してもらった10代のカップルは,TVを見て,夕食を食べて,宿題をして,長電話(1時間)する前までの3時間の間に,30通メールのやりとりしていた.このケータイでの通話に続いて,寝る前までまたさらに22通のメールが飛び交った.ケータイによってつながっている若者は,絶え間なくコンタクトをとるが,それは少数の親しい友達との,それも寝ていたり,仕事中でもなく,電話しても大丈夫な友達との“軽いやりとり”である.このようにして,ポータブルで,ヴァーチャルな空間を構築するため,都市はもはや近代特有のアノニマスな空間ではなくなってきている.若者は,1人で買い物に出かけたときですら,買った靴の写真を友達に送るだろうし,バーゲンセール情報を送るかもしれない.一緒に遊んで別れた後も,電車やバス,歩いている最中に,数字のキーパッド上で軽快に親指を踊らせ,メールで会話を続けようとする.

ウェブログによって,インターネット上でジャーナリストの権限が分散されているように、モバイルメディアは,多くのモバイルに利用可能なネットワークを通して情報を送ることによって,より一層,情報交換の脱中心化をうながす. TheFeature.com で, Justin Hallはこう書いている.

“今日,多くのWeblogはコンピュータで結ばれた人々によって動いている.テレビ電話も広まってきているし,ワイヤレスでWeblogにアクセス可能となれば,どこにいようと最新の情報を入手することができるようになる.”Hallによって,ケータイ上のWeb Logである“moblog”もはやってきている.

日本では,“写メール”が人気で,そのパイオニアであるJ-Phoneでは,ここ2年足らずで1300万人のJ-Phone契約者がカメラ付のタイプに機種変更している. Docomoの“i-shot”も,人気を伸ばしてきている.最近はFOMAも伸びてきていて、モバイルによるマルチメディアコミュニケーションの傾向は,日本において発展してきている.

“ケータイでやりとりされる内容をみると,特にハイカルチャーなものや,緊急時,災害などの情報といったものではない.それは,パーティの時の写真であったり,どこのクラブにいけばいいかの情報であり,そういった用途で,ある端末から他の端末へと情報が送られる.”ともHallは述べている.

私たちは,ケータイの日々の素朴な使用を観察してきたが,その結果もまた,このHallの考察を支持するものである.モバイルインターネット上でのテキストメッセージや写真は,個人的なニュースや,たった今目にした情報であって,そのメッセージや写真の“意味が分かる”友達との間で絶え間ないやりとりが続く.それは,テレビ番組への感想であったり,ラジオからの面白い情報であったり,風邪で授業を休んだ人へ,出席した人からその場の写真を送るといったようなことである.このように,私たちの視点は,ミクロレベルのメッセージに向けられてはいるが,その中から,より系統的な事柄が立ち現れてくる.すばやいウェブ検索は,アダルトサイトから人気サイト,家族写真のサイトに並んで,ケータイで撮られた写真がアップロードされた多数のページを表示するだろう.例えば,自分のケータイで撮った写真とそれに関する日記を公開し共有するためのサイトがあるが,ここには29人が参与している.Hallに刺激を受けて,伊藤穣一(私の兄で,インターネット企業家) は,カメラ付きケータイから写真を直接彼のブログに送るためのmoblogを構築した.

このWeblogは,マスコミュニケーションとパーソナルコミュニケーション,両者を鑑みながら構築されていくサイトである.この先,SFCの調査チームの学生によって,彼らの経験や観察および研究から得られた知見が,メディアレビューとしてWeblogにアップされていく.そして,ケータイ,PDAおよび関連するオンラインサービスを含むモバイルメディアについて,最新の商品やサービスを週に1本ずつアップしていく.

Posted by Mizuko Ito at February 27, 2003 9:10 AM

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